浜名湖周辺観光案内(2007/11/04)

東京、埼玉、神奈川の母の姉弟たちが浜松に遊びに来ました。
浜松観光案内をおおせつかったので、今日一日は親戚のエスコートです。
いくつか希望の観光地を聞いたパパはネットでいろいろ調べて今日のコースを考えました。

まずは宿泊先の館山寺温泉、ホテル山喜にお迎えに行き、
サゴーロイヤルホテルの売店でお土産を買うと、かんざんじロープウェイに。
湖上を渡る日本初のロープウェイなんだって。絶景です。

ここから乗ります 片道400円
湖岸のホテル群 正面は遊園地パルパル

時間が来たので乗車します。 遊園地パルパルを見下ろしながら大草山に。

観覧車 急流すべり「ドン・ブラーコ」
ジャングルマウス ジャンボプール
浮見堂 正面はホテル九重

よく晴れたいいお天気で、大草山からの展望を楽しみました。

気賀方面、奥浜名湖 いい景色です

ここにはオルゴールミュージアムもあるのですが、来たことがあるという事でパス。
次の目的地に向かいます。

オルゴールミュージーアムはこの先です ロープウェイから見た展望台

車は奥浜名湖へ。

いい景色だったね いい天気です
こんなところに餃子屋が 長楽寺への坂道

叔母さんの希望の長楽寺に。ここは梅園が有名なお寺です。この季節に行っても何もないけど。。。

足腰の悪い人は直接上まで車で行けます 山門
一見本堂に見えますが客堂でした 庭への入り口
客堂 詳しく説明してくれたおじさん
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博物館から戻ってきたばかり 本堂の木造馬頭観音
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いよいよ庭園に。

鯉が泳いでいました
【STUDY】
長楽寺(ちょうらくじ) 平安時代初期の大同年間(約1200年前)に弘法大師によって開かれたといわれ、この寺の北に陽光を受けて光る巨岩を霊地と見、お堂を建てたことにはじまるのち今川、徳川の信仰を集め、巨岩のふもとに七堂迦藍が建ち並び寺領25ヘクタールをもって繁盛した。
昭和22年の農地解放で寺領を失い一時荒廃、この時収入の道を失った寺が、雑木林を開いて実をとるために植えた梅が毎年春になると白、紅の花ををつけ、辺りに芳香を漂わせる。
ドウダンツツジが植え込まれた庭は遠州三名園になっており、隠元禅師の高弟、独湛禅師の筆である「長楽寺」の扁(へん)額がかけられている山門や土べいは室町時代の作。本尊は馬頭観音。木下氏作の新石庭、松島十湖作の大句碑、徳川15代将軍の御朱印、3月梅林祭り、11月どうだん祭りも見逃せない。
満天星(どうだん)の庭

わたしとパパ、次に若い叔父さんが少し上まで登ってみました。

屋根越しの向こうは浜名湖 上から見た満天星の庭

それから客堂に。

暗い部屋でした 数センチ高くなっています
庭を正面から鑑賞できる部屋です クリックして拡大

長楽寺を後にすると、次は気賀の関所です。
ここはわたしがパパと行ってよかったので、連れて行きたいとコースに入れました。

次は気賀関所 正面口、右手が受付
入口です 大人200円です

入場料を払うと、受付の女性に案内を頼みました。案内は無料です。

ガイド頼んだよ〜 中央のお姉さんがガイドさん

「不慣れですが...」 とおっしゃっていましたが、なかなかどうして
興味深いお話を沢山聞かせてくださいました。

女改め
牢屋
二階が見張り台 街道の地図
きちょうな食事の見本
【STUDY】
気賀の関所は、慶長6年(1601年)徳川家康によって設置されました。当時の関所は気賀宿の東入口に位置し、敷地547坪(約1,805u)で裏に竹藪117坪(約386u)がありました。周囲に瓦屋根塀・矢来をめぐらし、その中に本番所、向番所、遠見番所などの建物がありました。本番所は通行人を吟味する場所で、前には砂利を敷き詰めた広庭を隔てて向番所があり、中には牢屋もありました。また向番所の裏には遠見番所があって、上に釣鐘が掛けてあり、下には大砲一門が備えられていました。 関所は、主に「入り鉄砲に出女」など、婦人の通行と当時最も恐れられていた武器である鉄砲の移動を厳しく取り調べました。 もとの関所は本番所の一部が残存し、町の指定文化財になっています。現在は北区役所(旧細江町役場→浜松市細江総合事務所→浜松市北区役所)の西に、ふるさと創生事業として、残存する本番所の一部や江戸時代の文献などを参考に平成2年に再建されました。

資料館には興味深い資料が揃っています。
このメンバーはほとんどが歴史オタクなのでお姉さんに質問しまくりでした。

資料館 貴重な資料がいっぱい

本当に面白いです!じっくり見るから時間がかかること。

ガイドさん詳しい説明をありがとう

ちょうどタイミングよく、浮世絵展(ちょっとだけだけどね)が開催されていて、
壁には山本勧介の浮世絵などが展示されていました。

浮世絵の数々
期間限定の展示です
黄表紙は実物が触れます

来るときに朝市の案内チラシをもらいました。
母と伯母と3人で見て、母たちはみかんを買いました。中では菊花展が開催されています。

朝市
菊がたくさん

気賀の関所を出ると12時過ぎていました。お昼ごはんはうなぎの「千草」を予約してあります。
ところがみんな朝ごはんがサゴーロイヤルホテルのバイキングだったので、まだ全然お腹が減ってないって。
う〜ん、わかるなぁ、わかるけど予約どうしよう?

とりあえずお店に連絡入れて時間を遅くしてもらうと、午後の予定の摩訶耶寺(まかやじ)に
先に行くことにしました。

摩訶耶寺の駐車場 クリックして拡大
山門
境内
摩訶耶寺本堂 まず、お祈りをして

ここには素晴らしい国宝の観音様があるのですが写真撮影は禁止です。
許可をもらった天井の写真で我慢してね。

極彩色の花鳥 庭園へ進む道

そして有名なのがこのお庭です。

【STUDY】
摩訶耶寺は真言宗に属する静岡県下最古の名刹の一つ。
本堂に続く宝物殿に国宝・重文が3点あります。
不動明王像:平安時代末期の作、国指定重要文化財(大正12年国宝指定)。阿弥陀如来像:平安時代末期の作、県指定重要文化財。千手観音像:藤原時代初期の作、国指定重要文化財(大正4年国宝指定)
本堂格天井図:現在の本堂は江戸時代、寛永9年 (1632) に建造、入母屋造り5間4面、総ケヤキの巨財をもって造作されえおり、格天井には法橋関中の筆になる極彩色の花鳥が配されている。摩訶耶寺庭園(鎌倉時代初期)1240 年頃に作庭されたものと推定。日本の中世庭園を代表する庭園だと言われています。樹木の植裁を人工的にアレンジして自然の縮図を美的に再編成しようとする近世庭園に対して、大自然に囲まれたなかに精神的な別世界を構築しようとするのが中世庭園の特色です。
造形力の高い池の地割りや築山構造、石組群が美しいハーモニーをかもし、蓬莱神仙の幽玄境に誘います。
見事な庭園

摩訶耶寺を後にすると、うなぎの千草に行きました。
うなぎの千草はパパがネットで調べて探しました。
地元住民に人気の浜名湖うなぎのお店というところが決め手になったようです。

1時間遅れで到着
浜名湖が正面 入口

おなか減ってないから一番安いのでいいね、とみんな。1600円の梅を注文しました。
一番安いといってもこの内容!どう、美味しそうでしょ?

おいしかったよ

食事の後は二川本陣宿へ。
親戚は関東に住んでいるけどもともとは浜松の人。行ったことがないところのほうが少ないです。
ここはまだわたしもパパも誰も行ったことありませんでした。
ここで残念ながら叔父さんが一人、翌日早くから仕事、という事で二川駅から帰っていきました。

湖西市 二川宿本陣に到着
クリックして拡大 クリックして拡大
大甕 さぁ見学しましょう
クリックして拡大 井戸
カマ
着物
自由に着れるみたい
パネル展示
小物展示 男子トイレ
上段の間 大名が入るお風呂
上品なトイレ
これもトイレ ミニ庭園
【STUDY】
二川宿本陣:豊橋市二川町と大岩町は、江戸時代に東海道五十三次中33番目の宿場二川宿が置かれていました。二川宿は、二川宿と加宿大岩町からなっていて、町並の長さ12町16間(約1.3q)、文政3年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、人数1,289(男666、女623)人でした。二川には、現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残り、東海道筋では滋賀県草津市の草津宿本陣田中家(国指定史跡)とここだけに現存する本陣の遺構があります。旧本陣のご当主馬場八平三氏は、昭和60年に全国的にも貴重な歴史的建造物であるこの本陣遺構の永久保存と活用を願って、屋敷地を豊橋市に寄付されました。 また、本陣東に隣接する旅籠屋「清明屋」は平成12年に倉橋家より寄附されました。これにより全国でもめずらしい大名の宿・本陣と庶民の宿・旅籠屋をセットで見学できる施設となりました。

すぐ横にせいめいやと言う旅籠屋があります。
大名の宿と庶民の旅籠屋が比較して見れます。

畳じゃなくてムシロ
2階もムシロが
庶民の風呂、狭い! 食事見本
男子トイレ
展示コーナー
よくできています
三食刷りを体験 きれいにできました

二川本陣宿を出ると、今度は道の駅潮見坂へ。
浜名湖を見ながらドライブ、と言うのが伯母の希望で。

潮見坂へ 売店にはめだかが...
おじちゃん、おいしい? 向こうは遠州灘

遠州灘を右に、浜名湖弁天島温泉を左に見ながら絶景ドライブ。
浜名大橋はリクエストコースです。

浜名大橋を渡ります 舞阪弁天島方面
右手海方面ではパラグライダー 舞阪港

最後の目的地は浜松祭り会館です。これは祭り育ちの叔父が喜ぶかな、と思ってサプライズ。
ラッキーなことに70歳以上無料だって!わたしとパパの分だけ払って中へ。

祭り会館入り口
まずはビデオで 浜松祭りをお勉強
なつかしい〜
ミニチュア クリックして拡大
【STUDY】
浜松祭り:毎年5月3、4、5日に開催される浜松まつりは、100万人以上の観光客が訪れる日本有数のまつりとして知られています。昼間は中田島砂丘で勇壮な凧揚げ合戦、夜は中心市街地で絢爛豪華な御殿屋台が引き回されるほか、郷土芸能や吹奏楽パレード、ミス浜松まつりコンテストなど、3日間楽しめるイベントが盛り沢山。まつり期間中は町中が熱気と興奮に包まれます。町民の声によって生まれた浜松まつりには、現在、市内170か町が参加、老若男女を問わず誰でも参加できる市民のまつりとして発展し続けています。浜松まつりの起源は、今からおよそ440年前の永禄年間(1558〜1569)にまで遡ります。酒井真邑が書いた「江戸城記」によると、当時浜松を治めていた引馬城主飯尾豊前守に長子義廣公が誕生したときのことでした。殿様の跡継ぎ誕生をお祝いしようと、入野村の住人、佐橋甚五郎の進言によって義廣公の名前を凧に記して城中高く揚げたのが始まりと言い伝えられています。
よくできています 自分の町を探しましょう
大凧 法被を着て記念撮影
タコ合戦
法被の数々 御殿屋台
実物展示 6000万円だって!

これで今回の浜松案内はすべておしまい。
わたしはそのまま街で宴会があったので、3人を新幹線のホームまで見送りました。
叔父さん叔母さんたち、長生きして来年もまた浜松に遊びに来てね!

浜松駅に向かいます 浜松駅

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